道の駅でひとつはなしを聴いた。岩手県の北部では八戸ナンバー、南部では宮城ナンバーが山菜採りをしによく来るのだそうだ。岩手県在住のその土地の人が山のためにと残した山菜の芽も彼らは根こそぎ採りに来るそうで、タラの芽など素人でも見分けられるものは枯れるのが多いとか。ひどい時には芽の出ている枝ごと折って行くというから怖い。
山野草の被害もそうだが中途半端な中年以上の人々の知識というか配慮の薄さはどうしようもない。彼らはちゃんと勉強をするわけでも、人の話で納得するわけでもないので酷いものである。しかも若い人がそれを指摘するとすぐに生意気だといわんばかりの態度を示す。櫃取湿原とか散策路以外に足を入れて、「私達は慣れてるからと平気です」言う。なれているからとかの問題ではない。早池峰のトイレ問題もその年齢世代が起した。
その年代人々の子供達が、悪い事も親から受け継がれるわけで・・・。
飛躍するとそういう年代の人が山で遭難しても救助しないほうがよいのではないだろうか。もしくは正規の料金を請求するべきだと思う。法律とか環境に甘えているのだ。姥捨て山的考えが浮かびかねない。