自分で時間を作る努力をしなければ時間はいつまでもなくて、時間をどう作るかが必要になる。相手に時間を割いてもらうのではなく、自分の一日の行動を顧みて自分の時間のうちでどこを削って時間を作るかが重要。それが出来ないならば相手にあわせろと望むのは根本的に間違いで相手の所為ではない。それが納得いかないならばその相手とは縁がないということ。相手が特にメリットがないならば余計である。
時間でもそうだが趣味とかでも同じようなことがいえると思った。自分が我慢しているのだから相手もとかそういうのは世界が狭くなるだけで、引篭もって生きて行けるお金なり財産才能を持っているなら別だが。
ひろがる可能性を捨てるのは凡人では不利益の方が大きいと思う。

断捨離っていう言葉も実は良いことではないと思っている。捨てることで安心するというのは実はゴミ屋敷に住んでいるのと返せば同じことなのだとおもう。あるかないかに違いはあるが、結局は物に依存しているからだ。

話はそれるが自分のものを他人に言われて捨てることがあったり、もともといらなくて捨てることはできる。
他人にはまったく無意味で自分のを捨てているかどうかの評価は出来ているのだろうか。案外自分のものはつかわなくても大切でその辺においてあるのではないだろうか。
僕はあまり物を捨てない。もらったものは使わなくても取って置く。判断がつかないからだ。判断がつかないなら捨てろというかもしれないが置いておくコストと捨ててやっぱり欲しかったときのコストを考えると取って置く。
何より人からの頂き物を拒むというのはあまりしたくない。ゴミになるとしても。嫌がらせのものをもらう必要は無いが、そうでないなら。
一人で誰にも頼らず生きていけるならば人の好意を断ってもいいだろうが、僕はそうは思わない。何かしら依存している。