クラシックにあまり明るくない(俺もだけど)俺の友人がピアノ曲ショパンの幻想即興曲が好きだとクラシック好きの人に話したらば、「そんな曲がすきなの?あれはショパンが発表したくなくて遺作として無理やり発表した曲だし、構成もたいした曲ではない。クラシックを好きといえる素養がまったくないな」といわれたそうな。
クラシック好きにはこの手の人がかなり多いようだ。いわずとも思っているという感覚を受けることは多い。曲の旋律が良いとかそういう評価をするよりも、知識として入ってきたものである程度の価値を決めてしまう。そんなところに人間性は現れるわけだなと。このクラシック大家はきっと「人にとっての音楽」というところがまったくわかっておらなんだというところ。
実際、俺もピアノなどを弾くように見られたためしがないのでクラシックが好きな人(先生衆)にはいろいろいわれる。風体柄、まったくクラシックなんてしらない素振り(ほとんどしらないんだけどね)をしているといろいろしゃべってくる。大抵最後まで曲のメロディーが良いねとか個人的感想は話題に上がらず、歴史や背景、作曲家のこと、曲の構成などの話が大半になる。本当に好きな人は演奏者のここの演奏がなんとも良いとかそういう話が多くなるものだと思うのだけれど。

俺はノクターンOP9−2が嫌いだ。演奏するのも、聴くのもしつこくて。でも、好きな人がたくさんいるわけだからその曲が好きな人に出会っても否定はしない。なので、他の僕の好きなノクターンを紹介する。それでいい曲だねといってもらうと俺もうれしいし、相手の世界も少し広がるわけで。そもそも遺作でもいい曲はあると思っているし。
彼の出会ったクラシック大家とはきっと話が合わないだろう。某音楽大学で教鞭をとられているかただそうな。その音大きっと巣立つ音楽人は偏りがあるだろう。(笑)・・・そういえばあいつもそこのでだった・・・。(実際には普通ないい人も多いわけで。)

クラシックに興味を持ち始めた友人の今から広がるであろう世界を、はじめから閉ざしにかかるような奴は自分善がりと言うのか自分の優越感のみを求めている奴なのか・・・。